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Tamago

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せんせいのたまご

オーストラリアで修行中の「せんせいのたまご」の日々の出来事
March 04

努力の甲斐

年が明けてすぐに、大学から一通の手紙が届いた。

なんだろうと思って開けてみると、大学のコースコーディネーターから。

手紙を読み終えた途端、私は、飛び上がって喜んでしまった。

 

信じられない!!! ほんとにぃ~?!

 

そこには、大学32学期に履修した科目のうち、理科で取った点数90点High Distinction)が、学年でトップの成績だったと書いてあった。

 

こういった類の手紙は、大学12学期にもらってから、しばらく、ご無沙汰だった。 あの時は、成績の合計点が、学年でトップ10に入ったという知らせだった。 今回は、そこまではいかなかったけれど、たった一つの科目でも学年トップというのは、かなり嬉しかった。

 

確かに、アサイメント試験の前は、何かに取り付かれたように勉強した。 

気分が乗っている時は、15時間くらい(最高18時間)ぶっ通しで勉強できて、

そんな自分がすこし怖かったし、壊れていると思った。

 

家で集中できない時は、大学のコンピューター室に泊り込んで勉強した。 

コンピューター室は24時間アクセスでき、アサイメントや試験の時期は、けっこう夜中でも人がいるので怖くないし、周りも勉強していると刺激を受け、さらにがんばることができた。

 

私は留学生で英語の面でハンデがあるから、その辺も考慮して先生は採点してくれたんだろうと思うけど、それにしても、トップを取れたのは奇跡に近い。

今までの努力が全て報われた気がした。

 

私は、オーストラリア人の学生のように要領良く勉強することはできない。 

でも、時間を全て自分のために使うことができるので、その気になれば、オーストラリア人の何倍もの時間をかけて勉強することができる。

 

大学の講師や教授の中には、細かい文法の間違いには拘らず、どれだけ努力をしたか、どれだけ成長したかで評価してくれる人も多い。 

 

ということは・・・

 

留学生だって、ネイティブより良い成績をとることができるのだ。 

それが、実証できたのが、すっごく、嬉しかった。

 

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私のつたない文章にお付き合いくださり、ありがとうございました。

 

2006227日から、また大学が始まり、私は、最終学年の4年生になります。

今後のリアルタイムでの私のブログ&写真は、こちらを参照ください。

  

私の挑戦は、まだまだ、続きます・・・

March 03

クリスマスパーティー

私とスタディグループで一緒だったシンガポール人のジェニファーは、エリカの自宅で開かれるクリスマスパーティーに招待された。 

 

オーストラリアでは、クリスマスは家族で過ごす風習なので、招待客は、エリカの家族と長年の友人だという夫婦が一組。 

エリカは、私達を友人として扱ってくれ、家族の人達も突然現れた外国人の私達を暖かく迎えてくれた。 ほんとに、いい人達だ。

 

もちろん、日本語の授業を見学させてもらったりして、色々お世話になったエリカの娘、ジェマも来ていた。

エリカにズケズケ遠慮なく物を言うジェマは、小学校で日本語教師をしている時の彼女と少し違う感じがした。

 

実は、前回、私がジェマに会った時は、流産した直後だったんだけど、また妊娠できたらしい。 そんな娘を気遣い、過剰に世話を焼くエリカと、それに対して、つっけんどんな応対をするジェマは、まさしく娘と母親といった感じ。

まるで、私と母の会話を聞いているようだった。

 

テーブルは、きれいにカラーコーディネートされ、エリカのセンスの良さが際立っていた。 料理も前菜からメイン、デザートにいたるまで、完璧だった。 

 

料理が中盤に差し掛かった頃、エリカのご主人の挨拶が始まった。 

 

まず、オーストラリア人らしく妻の料理やテーブルコーディネートの腕を誉め、

 

「今日、庭のレンガがきれいになっているのに気付いた人、手を上げて。」

 

と、自分の働きもアピールした。 

 

みんな、そんなお茶目な彼に爆笑し、レンガに乾杯をした。

 

それから、私、ジェニファー、エリカの家族、友達と順番に一人ずつの一年の功績を誉めたたえ、その度に、みんなで乾杯をした。

 

お正月には、うちの父も同じようなことをするので、思わず、家族と過ごす日本の正月を思い出してしまった。

 

オーストラリアで過ごす年末、年始は、いつもなんだが物足りない 

やっぱり、お正月は日本で過ごす方がいいなぁと思ってしまう。 

今年は、エリカ一家のお蔭で、年末に寂しくならずに済んだ。

 

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March 01

スタディグループ

大学内で、私の一番の理解者であるスチューデントアドバイザー、エリカは、私達留学生のために、スタディグループを作ってくれた。 

 

私のコースでは、ほとんど留学生を見かけないけれど、同じ教育学部でも大学院のコースEarly Childhoodのコースには、少人数ながら留学生がいる。 みんな、私と同じような悩みを持ったり、苦労や悔しい思いをしているので、2週間に一度集まり、情報交換をしたり、勉強会をしようと呼びかけてくれたのだ。

 

そこで私は、愚痴をこぼしあったり、悩みを打ち明けあったり、お互いの弱点を指摘しあって、対策を練ったりすることができた。 

オーストラリア人の学生と一緒の授業では、萎縮してしまって、なかなか自分の意見を発表できなかった私も、留学生同士なら、気楽に意見を交し合うことができた。 悩んだり苦しんだりしているのは、私だけじゃないんだと分かり、気持ちが少し楽になった。 オーストラリア人のクラスメイトも話を聞いてくれたり、同情してくれたりするけど、留学生の立場や悩みは、実際に同じ体験をした人でないと分からないと思う。

 

エリカは、その年の末、彼女が私達とした新しい試みについてレポートを書き、ボスに提出した。 それで、をとることができたらしい。 

 

彼女の働きが大学の上の人に認められたので、2006年度からは、もっと大規模スタディグループを作ることができるという。 例えば、大学1年から4年生までの留学生で、小グループのスタディグループを作れば、入学したばかりで不安な1年生は、大学のことを熟知した4年生からアドバイスを受けることができる。 私も1年生の時は不安でしょうがなかったので、私にできることがあれば、是非、協力したいと思っている。

 

後一年で卒業。

 

最終学年は、どんなふうになるのか、楽しみなようで怖い気もする。 

とにかく、できることを精一杯するしかない。

 

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February 28

2/3年生のクラス

私が、4年生のクラスから2/3年生のクラスへ移動したのは、4学期の最後2週間だった。(こっちの学校は、2月に始まり、12月に終わる) 

この時期は、どこのクラスもクリスマスのアクティビティをしたり、ビデオを見たりするだけで、授業らしい授業をしない。

 

2/3年生のクラス担任サヴィは、トルコ人。 その年は、実習生を既に3人も受け入れていて、私は4人目だったが、快く受け入れてくれた。

 

サヴィのクラスは、その学校で一番お行儀の良いクラスという評判だった。 

確かに、クリスマスホリデー前で、子供達は浮かれてテンションが高すぎる時もあったけど、4年生のクラスとは大違いだった。

 

4年生のクラスは、子供達を静かにさせ、授業を聞く態勢に持っていくまでに時間根気がいり、なかなか肝心の授業が進まなくイライラしたけど、2/3年生のクラスでは、そんな心配は全然なかった。 

 

聞く態勢が、ちゃんとできているで、予定通り授業を進めることができた。 

だから、算数なんかは、2/3年生のクラスの方がレベルが高いことをやっていたりした。 オーストラリアの小学校では、教科書はなく、担任の先生は、子供達のレベルに合った授業をするので、こういうことが時々起こるのだ。

 

私の目標は、クラスルームマネージメントスキルを身に付けることだったから、普段のルーティーンの中で、スペリングの授業をしたりすることから始めた。 

それから、サヴィと話し合って、日本のクリスマス文化を紹介したり、4年生のクラスでやったアニメーション2/3年生のクラスでも作ることにした。

 

同じ授業を、もう一度することによって、前回の反省点を生かせたし、同じ授業でもクラスによって違った反応があるのも面白かった。

 

学期末ということで、通常の実習とは一味違ったけど、卒業したら小学校で日本語を教えたいと思っている私には、とても良い経験となった。 

4年生のクラス同様、凧製作凧揚げ桃太郎のアニメーション作りは、子供達に好評だった。

 

期間が短かったので、子供達と仲良くなりかけたところで、お別れだったのが残念だったけど、実習最後の日は、子供達からたくさんのハグ寄せ書きをプレゼントされた。 

 

実習の結果は、無事、合格。 

 

実習最後の日に、テリーとサヴィがアドバイスしてくれたことは、自分からもっと子供達に積極的に話し掛けていくこと。 そうすれば、私も子供達のことをもっと知ることができるし、子供達も私を深く知り、信頼することができる。

 

先生の仕事は時間に追われっぱなしで忙しいけど、そう言えば、テリーもサヴィも、少しでも時間があれば、子供達と話をしていた。 

授業中は、どうしても一対大勢になっちゃうから、一人一人の子供達と一対一一対小グループで話す機会は、とても大切だ。 

 

私も次の実習では、もう少し余裕を持って、テリーやサヴィのように、子供達とたくさん話をする機会を作ろうと思う。 

 

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February 27

桃太郎

3年生の2学期に、大学でテクノロジー&エンタープライズ(T&Eという科目について学んだ。 その時、パワーポイントとデジカメを使って、アニメーションを作るというのをやった。 

 

テリーと授業プランを練っている時にその話をしてみたら、テリーは、そういう授業は、今までしたことがないので、やってみたらどうかと提案してくれた。 その時、ちょうど子供達に日本の昔話“桃太郎”を紹介した後だったので、“桃太郎”のアニメーションを作ることにして授業プランを立てた。

 

まず、大学で私が作ったアニメーションを、見本として子供達に見せ、手順を説明した。 その後、子供達を4つのグループに分け、各グループに1シーンずつ作ってもらった。 

 

キャラクターと背景を別々に作り、キャラクターを少しずつ動かしながら、デジカメで何枚か写真を撮る。 それをコンピューターに取り込み、パワーポイントのスライドショーを使えば、即席のアニメーションができる。 

 

子供達は、目新しいものを前にして、興奮した。 いつもは、授業中、遊んでばかりいるDくんも、珍しく、やる気を見せた。

 

全てのシーンが出来た時、子供達を呼んで、完成品を見せた。 子供達は、自分の作ったものがコンピューターの画面に映し出されると、誇らしげに指を差して、歓声を上げた。 

 

Dくんの描いた背景が映し出された時、私は、

 

「あっ、これは、Dくんが描いた背景だよね?」

 

と言って、Dくんの方を振り返った。

 

Dくんは、満足げな表情で、ニッコリ微笑んでいた。

あんな表情のDくんを見たのは、初めてで、ドキっとした。

あんな顔もするんだ。 Dくんの新たな一面を発見したような気がした。

 

4週間、4年生のクラスで実習した後、私は、2-3年生のクラスへ移動した。

教頭先生が、同じクラスに6週間いるよりも、色々なクラスを経験した方がいいからとアレンジしてくれたのだ。

 

テリーが、私は、2-3年生のクラスへ移動することになったと子供達に告げた時、Dくんは、「行かないで。と言ってくれた。 

 

Dくんには、授業中、てこずらされたこともあったけど、最後に、心が通じ合えた気がして、すごく嬉しかった。

 

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February 26

Thanks Letters

実習中はノルマがあり、後半に近づくにしたがって、多くの授業を受け持たなければならない。 もちろん、担任の先生は、常に教室内にいて授業を見守っていてくれるし、助け舟を出してくれることもあるが、できるだけ傍観者に徹する。

 

授業の出来は、私を一喜一憂させた。 上手くいったか、いかなかったかは、自分が一番よくわかった。 上手くいった時は、ウキウキしたけど、上手くいかなかった時は、その場で、へたり込みそうになるほど落ち込んだ

 

そんな時、私を励ましてくれたのは、子供達からもらったThanks Letterの存在だった。(今でも、部屋に飾ってある。) 

 

一番最初にくれたのは、大人しく、優等生タイプのJちゃんだった。 

2週目の授業後、へこんでいる私に、Jちゃんは、手作りのカードをくれた。

 

You are the best helper teacher in the world.(世界一の先生)

 

と書いてあった。 涙が出そうなくらい嬉しかった。

 

家に帰ってからも嬉しくてしょうがないので、シェアメイトに見せて自慢した。

そうしたら、シェアメイトがあることに気付いた。

 

「あれっ、これMiss じゃなくて、 Mrs になってるじゃん。」

 

こっちでは、男の先生Mr+姓未婚の女の先生Miss+姓既婚の女の先生Mrs+姓で呼ぶのだ。

 

Mrs Tamago ・・・ Jちゃん?!(涙)

 

ほんとだ。 担任の先生は2人ともMrsだから、私もそうだと思ったんだろうけど、ちょっと悲しかった。 

 

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February 24

ハプニング

1週目の授業は、上手くいったものの、2週目にやった授業では、子供達の集中力が切れることがよくあった。 私の授業にも慣れ、子供達は、私が、どこまで許し、どこまで厳しいか試しているのだ。 

 

教室が騒がしくなる度に、私は、授業を中断し、軌道修正しなければならなかった。 今までのどの実習よりも大きな声を出し、子供達を叱ったし、(タイムアウト)も与えた。 叱った後は、子供達よりも自分のやり方が悪かったかもしれないと、必ず、自己嫌悪に陥った。 

 

そんなある日、実習先に行く途中で、車がオーバーヒートして動かなくなってしまった。 すぐに実習先に電話をし、遅れるということを伝え、結局、私が、小学校に着いたのは、ランチタイムだった。 

 

運動場で遊んでいた子供達が、遅れてやってきた私を見つけて、走ってきた。 みんな、元気に挨拶をしてくれ、私が来たことを喜んでいる様子

 

授業中、叱ったから、嫌われているかもと思っていたので、すごく嬉しかった。

子供達は、私の周りにまとわりつき、こう質問した。

 

子供達「今日、Tamago先生の授業ある?」

 

私  「うん、あるよ。 ちゃんと準備してきたよ。」

 

子供達「ヤッター!

 

これも、またまた意外で、嬉しかった。 子供達が集中できないのは、私の授業がつまらないからだと思っていたのに・・・ 私の授業を楽しみにしてくれたいたなんて、ビックリ もっと自信を持っていいかもと思えた。

 

車が動かなくなった時は、“最悪だ”と思ったけど、そのお陰で、自信を取り戻すことができた。 もっと喜んでもらえるように、がんばろうと思った。

 

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February 23

家庭環境

家庭環境は、子供達の生活態度学習態度に影響を与えると思う。 

普通、子供は、週末やスクールホリデーが楽しみなものだ。 でも、その実習先の子供達は、学校が休みに入ると退屈して困ると言う。 親にかまってもらえない子供達が、放課後、つるんで行動し、ギャング化する。 悪いことをすることを“かっこいい”と思う風潮があるため、行動はエスカレートし、時には警察のお世話になったりする。

 

4年生のクラスにも、そういう子供達は何人かいた。

 

ベトナム人のSくんは、親の都合で、毎朝、8時前に学校へ来る。 もちろん、先生達もまだいない時間だ。 しかも、朝ごはんを食べてないし、ランチも持ってきていない。 親は、50ドル(5000円弱)お小遣いをあげているからいいと思っているかもしれないが、Sくんが1日に食べたものは、学校帰りに買い食いしたチップス(フライドポテト)キットカットだけということも少なくなかった。

 

そんなSくんを“くさい。”と言って、他の子供達がからかったことがあった。 Sくんは、夏の暑い時なのに、2週間に1ぐらいしかシャワーをあびていなかったのだ。 Sくんは、言った。

 

「でも、それは、ぼくのせいじゃない。」 

 

5-6人の子供達と算数のアクティビティをしていた時に、こんなことがあった。

おつりの計算の仕方などを教えるために、私は言った。

 

「おつりの計算の仕方を知らないと、買い物する時に困ることになるよ。 店員さんが間違ってても気付かなかったら、損をすることもあるからね。」

 

原住民アボリジニのJくんは、真顔で、こう言った。

 

「そんなの、盗めばいいじゃん。

 

大学でアボリジニのことについて学んだ時、アボリジニの人達は、盗みを悪いことだとは思ってないと聞いた。 狩猟民族だからか、持っている者が、持っていない者に分け与えるのは、当然だと考えるらしい。 

 

こんなふうに色々な家庭環境の子供達が集まっているので、クラスでは、揉め事が多く、自分の身を守るために、汚い言葉(Fワード)を使って相手を威嚇したり、いじめたりということが多々あった。

 

でも、一人一人と話すと、みんな、悪い子じゃないってわかる。 根は優しいし、無邪気だし、人懐っこい。 叱られて泣くような幼さも、まだ残っている。 

だからこそ、時には、大人がビックリするような残酷なことを平気でする。 

 

辛抱強く子供達と向き合い、話し合い、指導するのは、とても大変な作業だ。 メリンダとテリ-が、2-3だから、このクラスの担任ができると言っていた意味がよくわかった。

 

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February 22

飴と鞭

日本にはないかもしれないが、オーストラリアの大学の教育学部では、クラスルームマネージメントについて学ぶ授業がある。 どの小学校もクラスルームマネージメントについてのポリシーを定めていて、子供が問題を起こした時の対処の仕方のマニュアルがある。

 

例えば、私の実習先では、

 

      口頭で、注意する。(警告)

      リストに名前を書き出し、タイムアウト(教室内で他の子供達から離す)。

      リストの名前の隣りに印をつけ、隣りのクラスへ子供を送る。

      リストの名前の隣りに2つ目の印をつけ、校長室へ子供を送る。 保護者に連絡を取る。

      リストの名前の隣りに3つ目の印をつけ、学校内停学。(校長室で過ごす) 保護者に連絡を取る。

      停学。(自宅で過ごす)

 

子供から学ぶ権利を奪うのも体罰に値するため、隣りのクラスや校長室へ子供を送る時も勉強道具は持っていかせる。 もちろん、問題の大きさによっては、ステップを踏むまでもなく、即、校長室呼び出しというケースもあるし、担任の判断により、リセスやランチタイムに遊べないという罰もあった。

 

メリンダは、私に言った。

 

「子供達を叱りつけた後、ハッと我に返って、自分が意地悪な魔女のように思える時があるわ。 でも、私の仕事は、子供達に学ばせることだから。」

 

教師になる人に、子供が嫌いな人はいない。 子供達のことは大好きだけど、心を鬼にして叱っているのだ。 子供は大人のように自制が効かない。 集中して勉強するために、先生の助けがいる子供もいるのだ。

 

でも、叱るばかりでは、先生も子供も嫌になってしまう。 誉めるご褒美をあげるというのも子供達をやる気にさせる方法の一つだ。

 

日本では考えられないけれど、オーストラリアでは、先生がご褒美として子供にロリー(グミ)をあげるのが一般的だ。 その他には、シール、文房具、フリータイムなどが、ご褒美として使われる。 授業態度が良ければ、個人やグループにポイントを与え、高得点の子供やグループは、ご褒美がもらえるのだ。 出来れば、物で釣るよりも、子供達に学ぶことの楽しさを教えたほうがいい。 でも、それは、簡単なことではないので、(特に難しいクラスでは)これらのご褒美が子供達のやる気の素となるのだ。

 

最初は、物に釣られただけでも、やってみたら面白かったり、自信がついたりして、少しずつ、ご褒美に頼らないでも学べるようになるのが理想だ。

 

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February 21

第一回目の授業

メリンダは、まだ教師4年目の若い先生だったが、テリーは、私の母くらいの年齢だと思う。 娘さんは、韓国で英語の先生をしているらしい。 

 

私が、実習に1回落ちていることを話すと、テリーは、第一回目の私の授業は、私が得意な教科を教えてみたらどうかと言ってくれた。

 

色々考えた結果、アートの授業をすることにした。 キッチンペーパーを原色3色の食紅で虹色に染め、それを使ってレインボーフィッシュを作ろう。

 

授業の前には、家で何度も予行練習を繰り返した。 子供達にわかりやすく説明できるように、製作過程の見本をいくつか作って、準備万端で授業に臨んだ。

 

テリーは、ベテランの先生で、子供達の扱いがとても上手い。 私の授業内容に子供達が興味を示すように上手に持っていき、タイミングよく、私にバトンを渡してくれた。

 

さぁ、私の番だ。

 

日本の搾りの着物の写真を何点か見せ、布や紙を染めて模様をつくる技術について説明する。

 

意外にも子供達は、静まり返って私の話を聞いている。 私にまだ慣れていないので、様子を見ているというところだろうか? 

 

キッチンペーパーを小さく折り、角を食紅でつくった色水の中に浸して見せる。

キッチンペーパーを広げてみると、赤、青、黄色が混じり合い、様々な色を作り、きれいな模様ができている。

 

COOL!!!(かっこいい)」 

 

子供達の中から歓声が上がった。 みんな、もう釘付けだ。

 

キッチンペーパーを染める作業は、数人ずつしかできないので、授業態度の良い子供達から優先して順番にやると言うと、子供達の目付きが変わった。

 

選ぶのが難しいほど、みんな授業態度が良い。 全員参加だ。 よそ見をしている子なんて一人もいない。

 

眠れないほど、心配した第一回目の授業は、私にとっては、大成功だった。

もちろん、初めての授業だから、授業の流れはスムーズではなかったと思うし、至らない点もあったと思う。 でも、その辺は、テリーがカバーしてくれた。 

 

確かに、このクラスの子供達は、騒がしい。 でも、興味を示せば、授業に集中し、力を発揮することもできるのだ。 ちょっと希望が出てきた。

 

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February 20

リリーフの先生

見学、2日目の朝、教室に行くと、メリンダの変わりに知らない先生がいる。 どうやらメリンダは病欠のため、リリーフの先生が呼ばれたらしい。

 

担任の先生は、子供達を扱う壺を心得ているが、リリーフの先生や実習生では、そうはいかない。 いいチャンスだ。 このベテランのリリーフの先生のやり方をじっくり観察し、勉強させてもらおうと思った。 

 

いつもと違う状況に、教室内は通常以上に騒がしくなる。 子供達は、リリーフの先生を試しているのだ。 リリーフの先生も負けてはいない。 すごい顔をして子供達を睨む。 声を張り上げ、子供達を叱る。 一瞬、静かになるが、すぐにまた、子供達は騒がしくなる。 人一倍、大きな声でおしゃべりしている男の子の側に、リリーフの先生は、ツカツカっと歩み寄った。

 

バーン!  

 

すごく大きな音がしたので、私は、飛び上がってしまった。 リリーフの先生が机を叩いたのだ。 その男の子の顔に自分の顔を近づけて、すごい顔で睨みながらお説教をしている。

 

こわ~、あそこまでしなくてもいいんじゃないの?

 

私は、その男の子に、ちょっと同情した。 でも、私が甘かった。 リリーフの先生が自分の席を去るとすぐ、その子は、また話し出した。

 

あ~、全然、懲りてないのねぇ。(ため息)

 

私は、今度は、リリーフの先生に同情した。 午後になると、リリーフの先生の顔に疲労の色が見え始めた。 午前中のような迫力はなくなり、時折、放心したように目がうつろになる。 きっと、子供達が帰宅する時間を、ただひたすら待っているのだろう。

 

子供達が帰り、教室にいるのは、リリーフの先生と私だけになった。 勉強させてもらったお礼を言うと、笑顔を見せ、色々と丁寧に教えてくれた。 このクラスの子供達の前では、とても怖い先生だったけど、きっと本当は、優しい先生なのだろうと思った。 最後に、その先生が言った言葉は、私を凍りつかせた。

 

「私は、教師を27年やっているけど、今までで一番最悪なクラスだったわね。 もう二度と、このクラスのリリーフは引き受けない。 あなた、実習、来週から? このクラスじゃないといいわねぇ。 グットラック!!」

 

でも、このクラスなんだよねぇ。 教師歴27年でも手を焼くクラス。

 

“前途多難” この言葉しか浮かんでこなかった。

 

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February 19

前途多難

教育学部の3年生は、1学期に2週間2学期に4週間の実習をしなければならない。 私の場合は、リピート実習のため、クラスメイト達から遅れを取っているので、2学期に2週間と4週間、合計6週間の実習を終えなければ、予定通り、卒業できない。 

 

2学期に6週間の実習をするのは、可能かなんだろうか?

 

実習コーディネーターのべブは、Yes とも No とも言ってくれなかったので、リピート実習中もずっと不安だった。

 

大学の休み中に、無事リピート実習に合格し、2学期が始まると、やっとべブは、2学期に6週間の実習をアレンジしてくれた。 大学の試験が終わり、小学校が夏休みに入る直前の6週間。 スケジュール的には、ほんとギリギリだ。

 

私は、ついてる もう一度、そう思った。

 

半年前には、真っ暗だった目の前に、少しずつ希望の光が見え出した。

 

実習が始まる前の1週間、私は、毎日、小学校に通い、これから実習を行うことになるクラスを見学させてもらった。 

今回は、男の子18女の子94年生のクラスで、担任の先生は2いた。 月~火曜は、メリンダ、水~金曜は、テリーが担当している。 担任が2人というパターンは、私にとって初めての経験だった。 今回の学校は、あまり治安の良くない地域にあるので、家庭が複雑な子供達が多いようだった。

 

クラスの第一印象は、とにかく、うるさい 男の子の数が、多いせいだと思う。 担任の先生も手を焼くわんぱく坊主達の集まりだ。 私、大丈夫かなぁとちょっと弱気になった。 取り合えず、メリンダに質問してみる。

 

私   「このクラスに、特に、問題のある子供はいる?」

 

メリンダ「(ニコッと笑い)全員、問題あるわね。」

 

私   「・・・・・・・ ハハハハハハハ。」

 

乾いた笑いしか出てこなかった。 今回のクラスは、かなり手強そうだ。

 

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February 18

アボリジニ

アボリジニは、オーストラリアの原住民で、白人社会とは、全く違った文化や慣習を持っている。 白人によって土地を奪われ迫害されていたという暗い過去を持っているが、それについて詳しく知っている人は少ないのではないかと思う。

 

教師になれば、アボリジニの子供達を受け持つ可能性もあるので(特に、田舎の方は、アボリジニの子供の数が多い)、教育学部の3年生では、アボリジニについて勉強する。

 

アボリジニの講師、スコットが教える講義は、とても画期的なもので、生徒の反応は、賛否両論だった。    スコットは、授業の目的は、私達の心の中に嵐を起こさせることだと言って、過激な発言をしたり、アボリジニ迫害に関するDVDなどを私達に見せた。 生徒の中には、目から鱗の人もいれば、腹を立てる人もいた。

 

スコットは、白人及び、白人社会で生きる移民達をチーム1と呼び、アボリジニをチーム2と呼んだ。 この力関係をわかりやすく説明するため、スコットは、あるデモンストレーションをした。

 

まず、レクチャーシアターにいる私達学生(300人程)を公立学校出身と私立学校出身の2つのグループに分けた。 公立学校出身者の方が多かったので、こちらがチーム1、私立学校出身は、チーム2ということになる。

人数の多い公立学校出身者は優遇され、私立学校出身者は、レクチャーシアター内の角に追いやられた 

 

デモンストレーションの後、スコットは、私達にどういう気持ちがしたか尋ねた。 私立学校出身者は、もちろん、惨めな気分だったし、腹を立てる人もいた。 公立学校出身者は、優越感を感じたり、教室の角に追いやられるのが自分でなくて良かったと笑って見ている人が多かった。 中には、私立学校出身者に同情し、優遇されても良い気分はしなかったという人もいたけど、優遇される立場を失ってまで、立ち上がって何かをしようとする人は、ほとんどいなかった。 これまでの白人社会とアボリジニの関係は、まさに、こういうことなのだ。

 

チーム2(アボリジニ)の人達は、よく、社会や学校のルールを守らないと責められるけど、所詮、そのルールは、チーム1(白人)が自分達の都合の良いようにつくったものなんだと、スコットは言った。 

私は、実習先で出会ったアボリジニの女の子のことを思い出した。 私は、自分の都合や常識を彼女に押し付けようとしたから、上手くいかなかったのかもしれない。

 

じゃあ、どうすればチーム1とチーム2が分かり合えるのか? 

それは、お互いが歩み寄り、チーム3をつくることだと、スコットは訴えた。

 

大学のウェブには、この科目について、学生達が話し合えるサイトがあり、毎日、多くの学生達が書き込みをした。 それを読んでみると、様々な意見があって面白かった。 スコットの発言に感化され、アボリジニ社会のことをもっと理解したいと思う人もいれば、それを偽善だと言う人もいた。 レイシスト(人種差別主義者)と呼ばれるのは、誰でも嫌なものだが、実際、白人至上主義の人も少なくないのだとわかった。 

 

最後の講義の日、新しく出来た校舎の前で、セレモニーが開かれた。 アボリジニの人達をゲストに迎え、アボリジニ流の儀式をしたり、踊ったりした。 アボリジニの老人達は、

 

「ようこそ、私達の土地へ。 あなた達が教師になったら、チーム3を築いていける子供達を育ててください。」と、私達に言った。 

 

そして、ほうにキスをして、サーティフィケートを渡してくれた。 

オーストラリアに来て、初めて、この国に受け入れられたという感じがした。

 

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February 17

リピート実習

私が、カマのクラスを訪れたのは、3学期だった。 1学期~2学期の間に、カマと子供達の間には、強い信頼関係が築かれていたので、子供達は、カマを喜ばせようと勉強に励んだし、彼女の話も良く聞いた。 カマは、そんな子供達に様々な方法でご褒美をあげていた。

 

まず、集中して話を聞ける子供には、クラスのマスコット(ぬいぐるみ)を抱いて座れるという特権を与えた。 これは、とても効果があり、カマが、マスコット達を持って教室内を見回すと、子供達は途端に静かになり、背筋を伸ばした。 

 

アシスタントとして、カマの隣りに座れるという特権もあった。 アシスタントに任命された子供は、他の子供達の授業態度を観察し、授業態度の良い子供を後で数人選ぶのだ。 選ばれた子供達は、スマイルシールがもらえる。 多くのシールを獲得した子供達は、週の終わりに何かプレゼントがもらえるのだ。 この方法を使えば、カマは4つの目で、子供達を観察することができた。 

 

他にも、まだまだ色々あったが、どれも子供達のポジティブな面(良いところ)を強調するための方法だった。 悪いところを叱って直させるという方法も確かにある。 でも、子供(特に、低学年)の場合は、誰かが誉められているのを見て、自分も誉められたいと思い、態度を改めることもあるのだ。 

 

前回の実習では、担任の先生は、地声の大きな人だったので、私の声は小さすぎると注意された。 でも、カマは、声が小さくてもクラスをコントロールする方法はいくらでもあると教えてくれた。(カマの声もあまり大きくない。) 実際、カマが声を張り上げることは、めったになかったし、カマが囁くような声で話せば話すほど、子供達は、耳をそばだて、彼女の話を聞こうとした。

 

こんなにも恵まれた環境だったけど、リピート実習での一発目の授業の時は、とても緊張した。 前回の傷跡が、まだ完全には癒えてなかったのだ。

カマは、そんな私の気持ちを察して、子供達に言ってくれた。

 

「日本人のTamago先生にとって、英語で授業をするのは、とても勇気がいることなの。 みんなのために長い時間をかけて準備をしてくれたのよ。 だから、最善の授業態度で聞きましょう。 うちのクラスが、今までで最高のクラスだったって言ってもらえるようにね。」

 

実習は、先生になるための修行なのだから、壁は自分で乗り越えなきゃいけないのはわかる。 でも、担任からこういうサポートがあるのとないのでは、ずいぶん状況が違ってくるのだ。 

子供達は、本当に良く私の話を聞いてくれたし、私の授業を楽しんでくれたので、私は、徐々に自信を回復することができ、無事合格できた。 実習最後の日には、もう私に会えなくなると言って泣いてくれた子供もいて、感動した。 

 

隣りのクラスの実習生は、リピート実習にも落ちてしまったらしく、泣いていたそうだ。 彼は、教育学部を辞めなければならない。 カマが、あっさりと、「でも、彼にとっては、これで良かったのよ。 これで、他の道を見つけることができるんだから。」と言ったのには、ビックリした。 一歩間違えば、私にも同じことが起きていたんだと思ったら、すごく怖かった   

 

実習最後の日、カマは、私に言ってくれた。

 

「あなたが、どうして前回の実習に落ちたのか、私には理解できない。 あなたなら、きっと良い先生になれると思うわ。 子供達、あなたのこと、大好きだもの。

 

私に自信をつけさせるために、言ってくれた言葉かもしれない。 でも、私は、カマの言ってくれた言葉を信じて、努力していこうと思った。 

カマの言葉どおり、このクラスは、私が今までに実習で行った中で、最高のクラスとなった。 

 

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February 16

リピート実習前

エリカが催促してくれたこともあり、べブは、約束どおり、大学の休み中に、リピート実習ができる小学校を紹介してくれた。 私のリピート実習は、高学年のクラスでやるはずだったのだが、実際に、小学校と連絡を取ってみると、1~2年生のクラスしか空いてないという。 べブに相談すると、低学年のクラスでも構わないというので、私は、1~2年生のクラスで、2週間のリピート実習をすることになった。

 

実習が始まる前に、担任の先生と連絡を取り、クラスのルーティーン子供達のことを知るために、1週間、授業を見学させてもらうことにした。

担任は、前の年に大学を卒業したばかりの若い女の先生、カマだった。 

 

また、若い先生かぁ・・・

 

前回の二の舞だけには、絶対になりたくないと思った私は、前回の実習の記録を全て見せ、カマにアドバイスを仰いだ。 カマは、私のファイルを家に持ち帰り、きちんと目を通してくれた。 そして、エリカの次に、前回の実習の私に対する評価は不当だったと言ってくれた2人目の人物となった。

 

今回の学校は、新興住宅地にあり、子供達の授業態度は、とても良かった。 みんな学ぶことに意欲的で、新しい知識をスポンジのようによく吸収する。 自分に対しての評価(セルフエスティーム)が高い子供達が多く、新しいことや難しいことを前にしても怯まないで挑戦できる。 フリータイムに何をしたいかと聞かれ、ライティング(作文)と答える子供達。 どこまでも学ぶことに前向きだ。

 

すばらしい。 すばらしすぎるぅ・・・

 

私が担任をしている日本語補習校のクラスもこんなふうにしたいなぁと思った。

 

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February 15

日本語の授業

クラスメイト達の実習が始まり、その間は大学の授業もないので、私はすることがなくなった。 エリカに娘のジェマを紹介してもらったので、2週間、彼女について修行させてもらうことにした。

 

ジェマは、3つの小学校で日本語を教えている。 日本語の授業は、通常、どこでも週2日ほどなので、日本語教師は、みんなジェマのように複数の学校で教えている。 ジェマは、私と同い年だが、教師歴9のベテランだ。 若い時は、交換留学生として日本でホームステイをしたこともあるらしい。

 

ジェマの姿を見かけると、子供達は日本語で挨拶をしながら駆け寄ってくる。 子供達は、ジェマの日本語の授業をとても楽しみにしているようだった。

 

ジェマの授業は、リズムがあって、子供達に退屈する隙を与えない。 授業中は、子供達の口からポンポン日本語が飛び出す。 ほとんどの子供達が授業に集中しており、積極的にジェマに日本や日本語について質問する。

ジェマは、子供達の様子をよく見ていて、タイミングよく、がんばっている子を誉め、ふざけて遊んでいる子を注意する 時には、さりげなく、時には、クラスが静まり返るほど厳しく これが、教師歴9年の実力なのだ。

 

ジェマは、クラスルームマネージメント子供との信頼関係について色々教えてくれた。

 

ジェマは、それらの3つの学校で働き始めて、3年目になる。 働き始めた頃、子供達の授業態度は、もっとひどかったのだと言う。 3年間で、子供達は変わったのだ。 

 

ジェマは、その3年間で、何をしたのか?

 

ジェマは、子供達をよく誉める 髪型、服装、空手の腕前など、些細なことでも気にかけてくれる人がいるのは、誰にとっても嬉しいことだ。 成績の悪い子ほど、授業中、担任の先生から誉められる回数は少ない。 自分のことを気にかけ、誉めてくれる人がいれば、その人にもっと誉めてもらいたい、もっと認めてもらいたいと、がんばるのが子供なのだ。 その証拠に、担任の先生には問題児扱いされているが、ジェマの授業では、とてもがんばっている子供もいた。

 

もう一つ、ジェマがアドバイスしてくれたことは、短いアクティビティをいくつも用意すること。 子供達の集中力は、大人よりも短い。 椅子に30分座りっぱなし、ビデオを30分見っぱなしでは、子供達の集中力は、すぐに切れてしまう。 それを防ぐために、子供達の脳みそを、もう一度、活性化するために、子供達が退屈し始める前に、目新しいことをする。 同じアクティビティでも、能力や性格によって、5で終わる子供もいれば、30かかっても終わらない子供もいる。 短いアクティビティをいくつも用意していれば、多種多様なニーズを持った子供達にも対応することができるというわけだ。 

 

そんな彼女でも、時には、授業が思うように進まず、落ち込むこともあると言う。 そういう時は、過去に子供達がくれたサンクスレターなどを読み直して、自分を励ますのだと言う。 教師をしていれば、誰だって、自信をなくしたり、落ち込んだりする。 でも、今日の授業に満足できなければ、次の授業で、その点を改善すればいいんだと、ジェマは、私を励ましてくれた。

 

ジェマは、快く私の訪問を歓迎してくれたけど、後で聞いたら、最近、流産したばかりだったと言う。 そんな辛い時期でも私を受け入れ、私に色々教えてくれたジェマに、とても感謝している。

 

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February 14

地獄に仏

べブは、スチューデントアドバイザーのエリカ宛に紹介状を書き、私にエリカのオフィスを訪ねるように勧めた。

 

エリカは、教育学部の学生を対象に、アサイメントや試験対策のワークショップを開いたり、個別指導をしたりしていた。 私も1年生の時には、散々お世話になった人だ。

 

私は、エリカに、今の自分の状況を説明する長い長いメールを送った。 エリカは、すぐに返信をくれ、私は、彼女のオフィスを久しぶりに訪ねることになった。

 

正直言って、あまり期待はしていなかった。 

 

エリカがいい人なのは知っている。 でも、彼女だって、所詮、大学関係者 

べブやコースコーディネーターと同じようなことを言うに違いない。 

そう思っていた。 ちょっと人間不信になりかけていた。

 

エリカのオフィスの扉を開けると、まず、彼女に抱きしめられた。 

そして、彼女の発言にビックリした。 エリカは、私以上に、大学側や私を不合格にした小学校の先生に怒っていた。 

 

私に味方してくれる人がいるなんて、信じられなかった。

 

エリカは、小学校の先生が書いた私の実習に対する評価を読んで、

「これは不当な評価だ。」と言ってくれた。

 

そんなこと言ってくれた人は、エリカだけだった。

 

周りは、みんな、私の英語が完璧でないから、実習で落とされたのだと信じて疑わなかったから、自分でも、私が悪い、私のせいだと思っていた。

 

エリカは、私に言った。

 

「私は、あなたが努力している姿をずっと見てきた。 あなたほど真面目で努力家な生徒を、私は見たことがない。」

 

べブのオフィスで流したのとは違う種類の涙がこぼれた。 

私のことを理解してくれる人がここにもいた。 

それがとても嬉しかったのだ。

 

エリカは、続けた。

 

「教師しかしたことがない人は、世間知らずで、視野の狭い人が多い。 自分の尺度でしか、人を評価できない。 でも、それは、公平な評価とは言えない。」

 

もちろん、エリカは、私の問題点についても一緒に考えてくれた。 確かに実習先の小学校は、問題の多い学校だったけど、どこの学校で教えても、クラスルームマネージメントの問題はついて回る。 特に、子供達と週に数回しか会わないLOTE(日本語)の先生には、クラスをコントロールする力が必要になってくる。 

 

エリカは、小学校で日本語を教えて9年になるという自分の娘、ジェマに連絡を取ってくれた。 私のことを話し、ジェマの日本語の授業を見学させてもらえるように交渉してくれた。

 

前回の実習で自信を喪失した私に必要なのは、自信を回復すること

自分で自分のことを信じられなかったら、何もできないのだ。

 

私のことを信じて応援してくれる人がいる。 

その人達の期待を裏切らないためにも、私は、がんばらなければいけないんだと思った。

 

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February 11

最悪な事態

新学期が始まってすぐに、大学3年の1学期にある2週間の実習についてのブリーフィングがあった。 私の場合は、まず、リピート実習に合格しなければ、これができない。 

 

ブリーフィング後、すぐ、実習コーディネーターのべブのオフィスを訪ねると、べブは私のことを覚えていてくれた。

 

「実習先希望用紙を記入したら、すぐ、もってらっしゃい。 誰よりも先に、派遣先を決めましょう♪」

 

と、明るく言われたので、ちょっと安心し、私の家の向かいにある小学校を第一希望にして、すぐ、持っていった。

 

その日は、そこの小学校の校長先生が留守だったので、べブは、実習先が決まったら、すぐ連絡するからと言って、私を帰した。

 

いくら待ってもべブからの連絡はなく、痺れを切らしてべブのオフィスを訪ねた。 べブの表情を見て、嫌な予感がした。 べブは、私に言った。

 

「前回の実習が上手くいかなかったのは、あなたの英語力に問題があるからよねぇ。」

 

(まぁ、確かにそれもあると思うけど、そんなに単純なことではない。)

 

「校長先生は、あなたが、前回の実習後から今まで、英語力をアップさせるために何をしてきたかを知りたいとおっしゃっているの。」

 

私は、目が点になり、言葉を発することが出来なかった。

 

確かに、べブの言っていることは、正論だ。 冷静に考えたら、私は、夏休み中、小金を稼ぐことよりも、リピート実習に合格することを考えて、何かをすべきだった。 合格できるかどうかは、私次第なのだから。

 

でも・・・ でも・・・ 

 

「日本に帰って、ゆっくりしたら?」って言わなかったっけ???

 

もちろん、“ゆっくり=何もしない”ではないことくらいわかってる。

 

でも、本当にゆっくりしてしまった私は、英語力アップなんて考えても見なかった。 どう考えても、3ヶ月間弱、日本語しか話してなかったのだから、私の英語力はダウンしていることはあっても、アップはしてないだろう。

 

嘘ついたって、すぐわかることなので、私は、正直に何もしてないと言った。 

すると、第一希望の小学校からは、断られてしまった。

 

べブは、「大丈夫。 大丈夫。 小学校なんて、たくさんあるんだから。」と言って、いくつもの小学校に電話をかけてくれたが、全滅だった。

 

私の件を話す時、べブは、これはリピート実習であること、私は、英語が完璧ではない留学生であることを必ず言う。 

 

リピート実習ということは、もう後がない。 次、また落ちれば、教師への道が絶たれるということは、みんな知っているのだ。 本音を言えば、誰だって、そんなやっかいな実習生を受け入れたくはない。 責任を負いたくないということなのだ。

 

打つ手のなくなったべブは、私に、「今回は、実力アップに努め、リピート実習は、また今度にしましょう。」と提案してきた。

 

また、こんどだとぉ~!?

私は、倒れそうになった。 ただでさえ、クラスメイト達から、半年分、実習で遅れをとっているのに、これ以上遅れたら、予定通り卒業できなくなる。

 

爆発しそうになるのを抑えて、私はべブに質問した。

 

「今回、実習を見送ったとして、予定通り卒業できる可能性はあるの?」

 

学生ビザを延長したらいい簡単に言われた。 

どこまでも留学生をなめている。 留学生からは、いくらでもお金を搾り取れると思っているらしい。

 

私は、ついに、切れた 

 

オーストラリアで留学生として勉強するのに、どれだけお金を払っているのかを教えてやり、これ以上、学生ビザを延長するなんて絶対無理だと言ってやった。

 

べブは、自分の手に余ると思ったのか、私をコースコーディネーターのところへ連れて行った。 コースコーディネーターだって、留学生のことは何にも知らないんだから、べブが言ったことを繰り返すだけ。 全く役に立たない。

 

私は、年間予定表をチェックしながら、考えた。 私が、みんなに追いつくには、1年で3つの実習(リピート実習も含む)をこなさなければならない。

 

「例えば、1学期と2学期の間のホリデーに、リピート実習をして、2学期に2週間の実習と4週間の実習をすることはできないの?」

 

べブは、年間予定表を見て、「できるかもしれないけど、保証は出来ない。」と、冷たく言い放った。

 

まずは、ホリデー中に、リピート実習をやってみて、全てが上手くいったら、私の案を考えてくれると言う。 取り合えず、可能性がゼロではないことがわかったので、私は、しぶしぶ、今回は、実習を見送ることを承知した。

 

この悔しさをバネにして、絶対、成長してやる と心に誓った。

 

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February 10

日本語補習校開校

オーストラリアに戻るとすぐに日本語補習校開校準備が始まった。

予想を上回る反響があり、入学希望者は、80人近く集まった。 こんなに日本語を勉強したい(させたい)子供達がパースにいるなんて、知らなかった。 

パースの日本人人口は確実に増えているらしい。

 

開校時、教員として採用されたのは、私を入れて全部で7人。 日本で教職に就いていた人や、オーストラリアで、長年、日本語教育に携わってきたという人ばかり。 ワクワクするのと同時に、責任の重さを感じた。

 

私達がペアで面接官を勤め、子供1人当たり10分ずつ面接をして、2日半かかった。 色々な親子と話をしたが、全体的に、勉強熱心な親が多いのにビックリ。 それに、両親そろって面接に来ているところも多かった。

 

後で聞いた話によると、両親そろって面接に来ないと合格できないとか、美容院に行ってから面接に行かないとダメ、などなど、根も葉もない噂が飛び交っていたらしい。 

 

子供達の能力を把握するために面接をしただけなので、初めから全員合格。

 

つまり、誰でも希望すれば入れるのだ。

 

ただ、週1回、補習校で勉強するだけでは、なかなか日本語は上達しないので、家庭でもサポートしてほしいというところは、強調しておいた。

 

面接の結果、子供達を能力・年齢別に5つのクラスに分けた。 

私は、一番年齢の低い5~6歳児クラスを受け持つことになった。 年齢的に考えて、子供達の集中力をいかに持続するかがポイントだ。 

 

開校前には、何度も他の先生達とミーティングを繰り返し、長い時間をかけて、色々なことを話し合った。 

 

こんなにも熱く教育について話し合ったのは、初めてかもしれない。 

 

みんな経験豊富だし、真剣だから、話し合ったらきりがないのだ。 

もちろん、ゼロからのスタートだから、簡単ではないはず。 でも、この人達となら、きっと良い学校がつくれると思った。

 

開校直後は、ローカル紙や日経の新聞・情報誌の人達が取材に来た。

 

パース初の政府認定日本語補習校。

 

パースの日本人社会からも地元メディアからも注目されている。 ご父兄の期待が大きいのも当然だろう。 補習校の未来は、私達の腕にかかっていると思うと、身の引き締まる思いがした。 

 

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February 09

墓参り

帰国してすぐに、伯母のお墓参りに出かけた。 伯母は仕事をしていて、遊びに行くといないことのほうが多かったので、祖母と話をしていると、もうすぐ伯母が仕事から帰ってきそうな気がしてならなかった。

 

祖母は明るく私を迎えてくれたけど、ふとした表情がとても寂しそうに見えた。伯母の話をすると、祖母を泣かせてしまいそうな感じがしたので、私の方から色々聞くのは控え、オーストラリアの話を少しした。 

 

祖母は、私がオーストラリアで何をしているか、詳しくは知らないと思うけど、

ポツリと「遠いなぁ。せめて日本ならなぁ。」と言われてしまった。

 

祖母の言いたいことはわかる。 伯母が癌だとわかった時、娘や息子(私のいとこ達)は側にいたから看病できた。 

 

オーストラリアは、確かに、遠い。

 

オーストラリアに発つ前に、両親と父方の祖父のお墓参りにも行った。 

その後、どこかで昼食を取ってから帰ることにした。 

 

レストランでオーダーを済ませると、急に目が痛くなった。 どうやらコンタクトレンズの調子が悪いらしい。 私は、席を立ち、トイレの鏡で目をチェックした。 椅子に座ると、すぐ、また目が痛み出す。 

 

立ったり座ったりを数回繰り返していると、父の機嫌がだんだん悪くなった。 

どうやらイライラしているらしい。 父は、私がオーストラリアに発つ前に、一度、私と真面目な話をしようと思っていたのだ。 

 

私が、やっと落ち着くと、とっくに食べ終わった父が、話し始めた。 

父の言いたかったことは、

 

困った時は、いつでも親にSOSを送ってこいということ、

父が会社を定年になる年までには、落ち着いてほしいということだった。 

 

学生という身分は自由だけど、不安定だ。 将来の保証もなければ、定職もない。 いつまでも夢みたいなことを考えてないで、早く戻って来いという言葉を飲み込んで、父が私に望んだことは、仕事でも結婚相手でもいいから見つけて、将来の見通しをつけてほしいということだった。

 

この年で、まだ親に心配かけるなんて、つくづく、私は親不孝だ。

 

ほんとなら、私が親の心配をするべき年なのに・・・

 

言いたいことは山ほどあるだろうけど、それを全て飲み込んで、好きなことをさせてくれる、困った時は、いつでも助けてくれる両親の存在をありがたく思った。

 

私の学生ビザは、2007315日まで。 

残された期間は、あと2年。

 

オーストラリアに住めるかどうかは、運もあるけど、縁もある。

オーストラリアと縁のある人は、案外、簡単にビザを手に入れている。

反対に、縁のない人は、どんなにがんばってもダメなのだ。

 

さぁ、私は、どっちだろう? 

 

英語学校とTAFE3年、大学で4年、合計7年オーストラリアで暮らして、

それでもビザが取れないなら、それは縁がなかったと言うことなのだろうと思う。

 

あと2年で、その答えが出る。 

 

泣いても笑っても、そこで、私の留学生生活は終わりにしようと思っている。

 

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February 08

母の入院2

思いの外、早く仕事が見つかり、帰国後、すぐに働き始めた私は、家の事と祖母の世話は、父と協力しながらやっていた。

 

でも、母の手術の日、仕事を休むべきかどうか迷った。

 

派遣社員を雇うぐらいなんだから、人手が足りないのだろうと思うと、働き始めてすぐの派遣先に、休みたいとは言いづらかった。

 

父の予定を聞いてみると、会議が入っていると言う。

 

母は、「死ぬような病気じゃないし、一人でも大丈夫。」と強がってはいたけれど、手術の日に誰も来ないと言うと、医者や看護婦に気の毒がられたらしい。 

 

そうだよねぇ。 ヘルニアとはいえ、一人、手術台に乗るんだもん。

誰にも見送ってもらえなかったら寂しいに違いない。

 

私は、思い切って派遣先の人に母の手術の話をし、休みをもらうことにした。

手術の日、病院に行こうとすると、まだ、父が家にいる。 

 

「あれっ?? 会議は?」 と聞くと、午後からだから病院に寄ってから行くと言う。 

 

なんだぁ~、初めから、そう言ってくれればいいのにぃ~

 

と思いながら、父の車で病院へ向かった。 私の父は、いつもこうなのだ。

 

病室に着くと、ちょうど母がストレッチャ-に乗って、手術室に向かうところだった。 私達の顔を見て、やっぱり母は嬉しそうだった。

 

勝手がわからずキョロキョロしていると、「手術室まで一緒に行きますか?」と看護婦さんが言ってくれたので、ストレッチャ-について行くことにした。

 

手術室の前で、「付き添いは、ここまでです。」と言われてしまったので、母に手を振り見送った。 大手術をするわけでもないのに、母が手術室の中に消えていく姿を見ると涙が出そうになった。 

 

手術の間、私と父は、病院内の喫茶店で時間をつぶした。

 

母が、やっと病室に戻ってきて、手術は無事終わったというのを聞いたので、父は会社に行き、私は、家に帰った。 

 

親が入院するなんて、私にとっても初めての体験だったので、少し怖かった。 亡くなった伯母には、娘が1人と息子が2人いる。    娘に看病してもらった伯母は、女の子を産んで本当に良かったと思ったらしい。 私は、母にそんな気持ちを味合わせてあげることができるんだろうか?と不安になった。 

オーストラリアに住んでいると、いつも、そういう不安が付きまとう。 

 

家の事が気になり、しばらくソワソワしていた母だったけど、こんな機会は滅多にないのだからと開き直ってからは、ゆっくり療養でき、1週間後に無事退院することが出来た。

 

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February 07

母の入院1

その年の9月に伯母が亡くなったことを、母は、私に黙っていた。

(妹から聞いて、私は知っていたけど) 

母は3人姉妹の真ん中で、一番上の姉が亡くなったのだ。 それを知った時、どうして母の口から教えてくれなかったのかと寂しい気持ちになったけど、遠く離れた異国で奮闘している娘に心配をかけたくなかったのかもしれない。 

年の近い姉が亡くなったことで、私なんかよりも大きなショックを味わったのは母なのだ。

 

私に話す心の準備がなかなか出来ないらしく、何もなかったかのように電話で明るく振舞う母が痛々しく感じられ、私の方から話を切り出してしまった。 

母は、電話口で、いきなり泣き出した。 

泣きながら、亡くなる間際の伯母の話をしてくれた。

 

私も母もしゃべってストレスを発散するタイプなので、黙っている母の方も辛かったはず。 でも、私から聞かなければ、私が日本に帰るまで、母は黙っていたと思う。 

私の母はそういう人だ。

 

そんな母が、ヘルニアだと診断されたと聞いたとき、まず、母の言葉を疑った。

 

ヘルニアなんて言いながら、実は、癌だったなんてことないよね?

 

と、私は、用心深く確認した。 それでも、安心できないので、妹から裏も取った。 

どうやら、本当にヘルニアらしいので、取り合えず、ホッとした。

 

ヘルニアは遺伝らしく、実は、私も妹も、小さい時にやったことがある。

面白いことに、母がヘルニアだと診断され、自分の妹(私の叔母)に連絡したところ、叔母も最近ヘルニアだと診断されたらしい。

 

面白い姉妹だ。

 

癌で姉を亡くしたばかりの2人は、きっとドキドキしたことだろう。

 

ヘルニアなので、急ぐ必要はないけど、手術をしなければいけないという。

 

私の両親は、父方の祖母と同居している。 90歳の祖母は元気なのだが、わがままで、とても手がかかるので、母は、うかうか家も空けられないのだ。

私が帰国するのを待って、母は、1週間の予定で入院した。

 

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February 05

再び、派遣社員

名古屋国際空港(旧)の到着ロビーに出ると、父の不機嫌そうな顔と母の笑顔が見えた。 いつもそうだ。 2年ぶりに会ったなんて思えないほどそっけなく、挨拶もそこそこ、父は私のスーツケースを奪い歩き出した。 3年ぶりに帰った時もそうだったよねぇ。 オージーのようにハグハグしないのが日本流。

 

今回の滞在は3ヶ月弱だったけど、私は、短期の仕事がしたいと思っていた。 

すぐに仕事が見つかるわけはないので、連絡だけは早く入れておこうと思い、私は、家に帰るとすぐ、以前登録していた派遣会社に電話を入れた。

 

短期の仕事で職種は問わないと言うと、10分後に折り返し電話します」と言われた。 10分? まさかねぇ~と思っていると・・・

 

10分後、ほんとに電話がかかってきて、即、仕事を紹介された。

 

うぉぉ、すばらしい!! さすが日本人!!! 仕事が早い!!!

 

オーストラリア人とは比べ物にならないほどの手際の良さに、私は感動した。

 

ということで、私は、金曜日に帰国し、月曜日に面接し、火曜日から仕事を始めた。 

 

派遣先は、材木関係を扱う商社で、またまた、営業事務の仕事だった。 そこの女性社員で1ヶ月以上欠勤している人がいて、体よりも心の病気らしいので、職場復帰できるようになるまで、その人の仕事をしてほしいということだった。

 

なので1ヶ月の仕事になるか、2ヶ月の仕事になるかは、向こうの都合次第。

普通の人には、そんなあいまいな仕事は紹介できないけど、数ヶ月しか働けない事情がある私ならいいだろうと派遣会社は思ったのだろう。

 

なるほどぉ~、だから、即、紹介されたのねぇ~。

 

と、妙に納得していると、「お互い様()なので、2月中旬にオーストラリアに戻ることは言わないで下さい。」と派遣会社の人に口止めされた。

 

こうして私の派遣社員生活が、また始まった。 

女性は、私以外みんな社員だったので、少し疎外感を感じたけど、贅沢は言ってられない。 少しでも長く働いて学費の足しにするのだ。

 

オーストラリアのことを聞かれたり、今後の予定を聞かれても、はっきり答えられないのが辛かった。 嘘のつけない性格なので、ポロッと余計なことを言ってしまいそうで、なるべくオーストラリアの話題は避けた。

 

12月の末に、欠勤中だった女性社員の人が1月から復帰するかもという噂が流れた。 みんなが言うには、長期で休んでしまうと会社に来づらくなるので、復帰するには何かきっかけがいる。 新年の仕事始めと言えば、

“復帰の絶好のチャンス”に違いないというものだった。

 

確かに。 新年には誰もが気合を入れなおす。 

 

私が彼女でも、復帰するなら仕事始めの日を選ぶだろう。

 

あっ、でも、そうすると、私は、もう要らないんだろうか???

 

と思いながら、年が明けて派遣先に出社してみると、彼女は復帰していた。 

すごく華奢で、繊細そうな人だった。

 

留守中の仕事のお礼を言われ、「いえいえ、私は別に・・・」なんて照れながら挨拶していると、課長から呼ばれた。

 

「ご苦労様でした。 そういうわけで、1月はもういいから。」

 

とでも言われるのかなぁと思って覚悟していると、

 

1月いっぱいはお願いします。 彼女まだ本調子じゃないし。」

 

と、言われた。

 

まぁ~、Keepでも何でも、後1ヶ月は仕事があるんだからいっかぁと思って、引き受けた。 これで、再び、仕事探しをしなくても済む。

 

それから、暇な日々が始まった。 時計と睨めっこで、ため息の毎日。 

暇すぎるのも苦痛だけど、考え方を変えれば、楽な仕事で同じ時給なんだから喜ぶべきかもしれないと、飽くまでも楽観的な私。 

 

電話応対雑用しかすることがなく、新卒で入った会社で新入社員だった頃のことを思い出したりした。 雇っておきながら暇なので、社員の人に、

 

「ごめんなさいねぇ、大した仕事なくて・・・」

 

なんて恐縮されることもあった。 私は別にいいんだけどね・・・

そんな感じで仕事を続け、1月末に契約満了でその仕事は終わった。

 

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February 03

初めての一時帰国

その年の9月に伯母が亡くなったこともあり、私は、初めて、一時帰国というものをしてみようと考えていた。 

でも、リピート実習のことが頭にひっかかっていた。

 

リピート実習をしなければいけないということは、スケジュール的にクラスメイト達から遅れをとることになる。 

 

ここは、一時帰国は断念して、スクールホリデー中に、リピート実習を済ませておいたほうがいいんじゃないか?

 

とは思うものの、あせってリピート実習をして、また、落ちてしまったら、もう後はない。 そう考えると、まだ、リピート実習に挑む自信が持てなかった。

 

べブに相談すると、「今のあなたは疲れているわ。 日本で家族と会って、ゆっくりしてらっしゃい。と、あっけなく言われた。 

 

ほんとにぃ~? ほんとにゆっくりしちゃって大丈夫なのぉ~?

と、べブの優しい言葉を疑りながらも、すっかり戦力を失っていた私は、素直にその提案に従うことにした。

 

そうと決めたら、なんだか少しウキウキしてきた。 

日本に引き上げる時と違って、一時帰国は、なんて気が楽なんだろう。

 

約3ヶ月間、たっぷり日本を楽しんで、出来たら小金も稼いでこよう♪♪

 

こうして、リピート実習について考えるのは新学期までお預けにして、

私は、2年ぶりに日本に帰ったのだった。

 

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February 02

悪夢の続き

実習が終わり、べブに会いに行った。 

実習結果を見せると、リピート実習(やり直し)をしなければいけないと言われた。 

 

それに、実習に2回落ちると、先生の素質がないと見なされ、コースと辞めさせられる ということも初めて聞かされた。

 

それって、厳しすぎない? 

コースを続けるかどうかを何で人に決められなきゃいけないの!?

コースの途中で放り出されたら、私は、どうすりゃいいの!?

そういう大事なことを、なんで早く言ってくれないのぉ!?

 

言いたいことは、たくさんあったけど、怒る気力もなく、私は、べブのオフィスで、また、涙を流した。

 

実習後の授業では、みんなでお互いの経験を語り合ったりした。 クラスメイト達もクラス全体を教えるのは初めてだったので、私と同じように苦労をしたようだった。 その中には、今回がリピート実習だったという人もいて、実習で落ちたのは私だけじゃなかったんだとわかって、少し救われた気がした。

 

数人のクラスメイトが落ち込んでいる私を心配して、元気づけるために自分の実習中の失敗談や苦労話などをしてくれた。

 

でも、数日が経っても、私の気持ちは晴れなかった。

 

ある日の授業の後、暗い顔をしている私にクラスメイトのマークが話し掛けてきた。 

マークは、40歳くらいのおじさんで、3人の子供の父親でもある。 

誰かから私の実習の話を聞いたのか、いきなり、自分の実習中の苦労話を始めた。

 

私が頷きながら話を聞いていると、英語のネイティブスピーカーの間で、必死にもがいている私のことを“君はよくやっていると思う”と言ってくれた。

 

散々泣いて、もう涙は枯れてしまったと思っていたのに、その一言で、また、涙が出てきた。 クラスメイトの前で泣くのは甘えているようで嫌だったが、もう、涙を止めることはできなかった。 

 

マークは、私の涙にギョッとしながらも、なるべくそれを表情に出さないようにしながら、

日本人であるということを武器にして戦ってみたらどうか

と、色々なクラスルームマネージメントの方法を提案してくれた。

 

世の中には色々な人がいる。 

日本人同士でも分かり合えないことは、たくさんあるのだから、日本人とオーストラリア人なら、なおさら理解しあうのは難しい。 

 

それでも、私のことを理解しようとしてくれる人も中にはいる。 努力を認めてくれる人もいる。 落ち込んでばかりもいられない。 

今後、どう挽回するかを考えよう。 そう思って、もう泣くのはやめた。

 

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